2011/05/21

求められるボランティア

被災地におけるボランティアの活動はとても大切な役割を担っています。しかし、被災地での必要に応えようとしているボランティアであるのかどうかと考えると必ずしも調和しない場合があります。きわめて特殊な事例で、一般化するつもりはありませんが、実際、葛藤した体験、今後は決してあってはならない一つの事例として記録しておこうと思います。そもそもこちらの思い込みが問題の始まりであったわけですが。

海外から11名ほどのグループが仙台に来ました。その窓口になった方は自分もよく知っている方で信頼関係から安心しておりました。それでも3.11の一、二週間であったら断ったであろうグループですが、二ヶ月も過ぎれば対応でききると考えました。しかし現実は失望感、葛藤、内心怒りすら禁じ得なかったのです。とは言え、これは100%、迎える側の責任であることを自覚しています。

問題の一、最後まで参加者の名簿、誰が、どのような方が来るのかが分からなかったことです。若い方なのか、ひょっとしたら年配の方で、動くには制約のある方なのか、男女の構成はどうなっているか分かりません。何よりもこちらの方針が十分に伝わっているのだろうか。ボランティア活動の基本的な了解事項を全員が納得してくる方々であるのか、結局最後まで分かりませんでいた。ただ分かっていたのは「何でもする、土方でも、どんな作業でもやります」との先方の言葉です。

ここ神学校は比較的宿泊しやすい環境であると思います。とりわけこのような震災の中でボランティア志願者の方々を迎える施設としては恵まれている方かもしれません。初期の段階で来られたボランティアの方々は「いや、ここはヒルトンですよ」と冗談交じりに話していたのを思い出します。その方々は本当にボランティアとして自己完結のできた方々で、その後につながる大切な働きをなされたと思っています。

ところが、今回、到着して早々、こんな部屋では泊まれないと言う。挙げ句の果てに帰るとまで言い出してしまった。確かに年配者で、さほど機敏に動ける方ではなさそうです。無理強いするつもりはありません。もちろん、ボランティアだから粗末なところでいいとは思いません。できればゆっくり休めて、きちんと食することができ、そしてしっかり仕事ができることだと思います。ただ、もう少し謙虚な対応はできないものかと思いました。これでもはやボランティアとしての条件を満たしていないことがはっきりしました。

結果的には一つのグループが5,6人は十分に宿泊できる部屋をその老夫婦だけで占拠することになってしまったのです。同じ時期に日本人グループのボランティアが来ることになっていたので、そのしわ寄せは彼らが受けることになりました。

この震災時に、助けを必要としている方々は大勢います。このような時に必要なボランティアは本物のクリスチャンであると思います。いわゆる「宗教的クリスチャン」は不要です。むしろ必要なのは福音を見える形で示せるクリスチャンです。

問題の二、ボランティアは現地の活動の方針に添う心備えができているかどうかです。実りのある活動には現場を見て、これまで取り組んで来た方から説明を受けるオリエンテーションは欠かせません。また現地の教会の取り組みを尊重する姿勢はボランティアの基本原則です。自分がしたいことをするのではなく、相手が望むことに応える、仕えることでボランティアの役割を果たせると思います。

活動の初日そのオリエンテーションの時であるとことを示した時に、第二の爆発が起こりました。自分たちは活動に来た、限られた日程であるので、すぐに活動したい、そうでなければ帰るという。こちらは、帰るなら、帰ってもいいと覚悟あるので少しも妥協することはありません。せっかくアメリカから来たのですから、と言う方もありましたが、その発想が問題なのだと突き放しました。

結果的には実際のボランティアに参加するのは男子2名だけ、他のメンバーと婦人たちは、自分たちは祈りのために来たということでオリエンテーションにも参加しません。現地を見るだけでも今後のために益すること多いと思いましたが、残念ながら参加しようとはしませんでした。ただ祈りのためなら、本国にいてもできるし、ただそのために他のボランティアを押しのけて、限られた部屋を専有する必要はないのです。また本当に祈るなら、被災の現場、現地で取り組む教会の働きを知ることは重要であったはずです。

ついに、活動の始まる朝、荷物をまとめて帰って行きました。参加した2名の男子も一日だけの作業で、それなりの働きをされましたが、その日のうちに帰りました。残されたのは無人のレンタカーのみです。

私自身、心を試されています。この震災時におけるボランティア活動、その動機において、一点でも主にかなわぬものがあってはならないわけです。主にあって純粋な動機で取り組みたいと願っています。被災者の方々にとって、真の隣人になれるボランティアを祈り求めながら取り組んでいきたいと願っています。

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