2011/04/30

何を見、考え、何を目指すのか

巨大地震発生から一ヶ月半が経ちました。しかし、今まさに救援から復興活動へと動き始めたと言えそうです。さらなる創造的取り組みのために知恵を必要としています。

とりわけ、神の民として歩む者として、この支援活動の中で、いったい何を考え、何に関心を持ち、何を見て、何を目指して活動しているのか、自らの心、競争心や自己満足、高名心などを点検し、かつ冷静に観察しながら取り組みたいと心を新たにしています。

今回の災害の規模、広がり、深刻さは計りがたいものがあります。そうした中でのクリスチャン、クリスチャン団体、諸教会の支援活動は着実に広がっています。その取り組みの中で教会家族が新たに生まれるならばと夢見ました。しかし夢は現実に、思いがけない仕方でその方向性が見えてきました。日本アライアンス・ミッションがこの大震災を期に支援活動の延長線上に主の教会共同体を建て上げていく決断をされたとの知らせをいただきました。

クリスチャン人口が少ない中で、また全体から見れば数少ない件数とは言え、教会が津波に飲み込まれ流出してしまうことは大きな出来事でした。改めて教会の存在、しかも単に建物でない、その地域に生きるクリスチャン共同体の大切さを考えさせられています。

このような大震災による惨状の中で何が本当に大切なものか、何がいつまでも残るものかを考えさせられました。しかも教会、クリスチャンの存在そのものが問われました。がれきの中に立てられた十字架はシンボルです。そこに生きるクリスチャンたちがあってこその輝きです。今回の震災は、建物は建っていても、また建てても、教会がないという事態にならないのか、クリスチャンにとって、とてつもなく大きな、かつ大切なことを考えさせられていると思います。

福島原発の災害事故に伴う強制避難とか、自主避難による教会の存続を考えたとき、教会が何であるのか明確になりました。教会はある、しかしそこに集えないのです。誰もが分かっていると思いますが、教会は建物ではありません。建物は一つの手段に過ぎません。

このよう中で黙々と、痛んでいる人々を見つけ出しては援助の手を差し伸べているクリスチャンたち、教会があることを知っています。その取り組みの中でその愛に動かされ、愛の神の真実に生きようとしている方々が起こされていることを聞いています。アメージングネットワークミッションもその働きを実現にしているクリスチャン共同体の一つです。

他にも支援活動する人たち、自分たちのユニフォームを脱ぎ捨て、普段着で主の愛を実現する取り組みをしておられる方々がいます。仮に大きなパラチャーチの支援団体とは言え、多くのクリスチャンや善意ある人たちの捧げものによって成り立っています。ですから、個々人の善意を、善意を持って届けるとしたら、ユニフォームでなく普段着で人々に近づいてこそ、真の支援と言えるでしょう。そしてそのような支援が真の教会共同体と生み出していくと期待します。まさに初代教会はそうでした。教会、真の共同体に注目し、単なるパフォーマンスに陥らないように注意したいと思います。

今、この時に求められるのは、クリスチャンの真実な行動、行為です。今こそ聖書の規範、原則の基づいて行動すべきときでしょう。その時、教会は教会として存続すると思います。そのような主の心を実現する取り組みは、今、求められているように思います。

こうした方々取り組み、決意は、心からの支援、援助の延長線上に神の理想共同体、教会の存在を見据えています。今まさに、必要としている真実の愛の業によって、地域の繁栄に貢献できる生ける教会家族共同体がこの東北の地、あちこちに生み出されることを夢見、祈りたいと思います。

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