2011/09/18

支援の先に

オレゴンからのボランティアチームが、一週目、南三陸町の図書館再開に向けた奉仕に専念し、何とか全うすることができました。寄贈された書物の仕分け、新しい図書のカバーかけ、登録された図書の展示作業などなど、根気の要する仕事でした。しかし、チーム全員がとにかく熱心に働く人たちで本当に感謝しています。何となくボランティア活動に参加した、ということに終わらない、一定の働きを成し遂げることを願いました。一週間、取り組めば、ある程度の成果が見える活動になるではと期待し、熱心に取り組むことにしました。

職員の人たちとも二日、三日となると自然なかたちで交流は深まるし、仕事ぶりや、不断の言動を通して信頼関係を築き、また「キリストを知る知識のかおり」を放つことになります。図書開設に関わる責任者の方々は避難所での支援活動の時からの関係者で、すでに信頼関係を築いている方々です。今回は、本来の仕事に復帰された彼らに仕えながらの支援となったわけです。

そういう意味では何よりも、しっかりした仕事をすることが確かな支援になるわけです。それだけに限られた時間で、なすべき仕事をしっかり教えていただき、その労に勝る仕事を成し遂げなければという緊張感がありました。とにかく真剣に最善の仕事ができるように一生懸命でした。さほど会話も仕事に関することでなければ広がらなかったのですが、それでも次第に慣れていく中で、会話が生まれます。特に3.11大震災当日のことがなにげなく話題に上りました。

あれから半年もなるというのに、つい最近のように話されます。だいぶ落ち着いた感じでしたが、何か心の整理の中でひっかるものがあるようにも思われました。地震発生後、保育園に子供を迎えに車を走らせていく途中で、避難する年配の方々から、車に乗せて、と何度も請われとそうです。ごめんなさい、子供を迎えに行くので、と断りながら走らせた時の心の葛藤や苦痛はこれまでにない経験であったようです。しかし、避難先でそのお年寄りの方々に再会し、無事であったこと、「誰も恨んでいないよ」との言葉に胸をなでおろしたというのです。生死を分ける緊張感の中での体験、その場に居合わせなければ知り得ない葛藤であったと思います。

そして翌日、チームの一人、日本人女性、エメリー姉妹がその彼女と個人的に福音のことに及ぶ深い対話に導かれたとのことです。そして、自分もクリスチャンとして生きていきたい、イエス様を信じたいと話されたというのです。クリスチャン生活をどうするのか、とまで話しが及んだというのです。

私たちは支援と宣教は一体のものと解しています。しかし支援活動の中、つまり与える側と受ける側、という特殊な心理状況の中では、特に聖霊の働きによって相手からの問いかけが起こることを期待し、また信じて、とにかく誠実に仕えることに徹していこうと心を定め、祈りつつ取り組んでいます。

コロサイ人への手紙の中でパウロは「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」との勧めに注目しています。支援の先に、福音を信じ受け入れ、そして信仰と、生き方が一つになったクリスチャンたちがこの町に起こされ、その彼らを通して支援の輪が広がっていくことを祈り、期待していきたいと願っています。

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