2011/07/19

南三陸町大上坊・米広、歌津町升沢地区

大森地区での支援活動の中で、中心となっている佐藤さんから、新たな地区、米広と大上坊、歌津町の升沢地区に住む方々を紹介されました。米広は内陸部に位置し、数軒ですが45号線まで広がる大上坊と一つの行政区になっています。大上坊は津波によって大半が破壊されています。升沢は45号線沿いで田の浦と伊里前湾の間に位置する地区で、どちらも直接的は津波被害を免れた地域です。

米広、大上坊
米広、大上坊は農業、漁業を営む人たちで現在は世帯数も20世帯足らずの集落です。大上坊はかなり被害は大きく、がれきと化した家、半壊した家など、空き家になっている家が目立ちます。現在避難している家族を入れると28家族、約73人ほどです。3.11の大震災の時には、入谷地区と同様、自分たちの持てるもの、特に米を拠出し、炊き出しのために大いに貢献しました。そして、津波被害を受けた方々を迎え入れたのです。またそれができた地区でもあります。しかし、いつまでも続くわけではなく、自主避難してきた方々がそれぞれの避難先に移動していくに従って、自分たちの日常生活の必要まで逼迫していることに気づいたのです。もちろんこうした地区には支援物資などはほとんどありませんでした。最近は食料等の支援があると聞いています。

歌津町升沢
また、升沢地区に住む方をも紹介され訪問しました。やはりここも同様でした。この地区は三方海に囲まれて、高台に位置することで津波被害はありませんでした。すぐ近くには避難所にもなっている平成の森のキャンプ場の施設があります。升沢は20世帯で80人ほどいます。道路を挟んで向かい側に比較的新しい団地があり、40軒ほどです。

家が残ったので、特に升沢地区にはやはり周辺の被災者、家族関係の方々が大勢避難してきました。話しを聞けば、下着の果てまで、あるものはなんでも被災者のために提供したとのこと。それで家のお年寄りはちぐはぐのものを着ているというのです。その地区の中心になる方は漁をしておられます。しかし、自分たちの浜に停泊していた船はほとんど失ってしまったそうです。今は日当をいただき、がれき処理に励んでいます。

家がある、しかし、被災者である。家があるだけに、支援者となって提供はしたものの、支援は全くないのです。それでも道すがら支援に来てくださった方があったようで、本当に助かったという。やはり、教会関係者が目立ったようで「私たちもキリストさんに助けられました。」との表現に驚きました。しかし、その後、特に支援はないというです。会って、話しを聞いてみなければ、外見的には支援を必要としている方々であることは分かりません。

さっそく両地区に、私どもに提供された生活用品、食料等、また夏物衣料を中心に三度ほど訪ねました。そこに集まる人たちの中には避難所からの人もおりました。また避難されている被災者もいます。両地区共、もう少しその地区の皆さんと交わりながら、実情を把握していく必要があります。支援物資が続く限りですが、何回か訪問したいと願っています。

特に、南三陸町は7月から水道の状態はとても良くなり、飲料に許可が出たようです。しかし、升沢地区はまだ飲料には適さないとのことです。ですから、この地区では、飲料水は貴重な支援物資です。

支援の先に
「受けるよりも、与える方が幸いです」との主イエス様の教えがあるように、真心からの支援と併せて、聖書の原則に基づいた人の生き方について分かち合えるように取り組むことができたらと願っています。

今週は明日、米広を訪問します。そして次週25日から28日まで「イザヤ58ネット」の皆さんがボランティア活動に参加されます。特に大森地区でバーベキューをしながら、地域の皆さんとの交流を深め、また地域の皆さん方も心の励みになるように、さらに信頼関係の深まる地域共同体となる一助になればと願っています。神様の働きに期待を込めて、

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