2011/04/07

ほんとに助けを必要とする人に

昨日、石巻に出かけました。今回で三度目の訪問ですが、今回も二つの教会を訪ねるためです。一つは「祈りの家教会」です。文字通り自分の自宅を開放して主にある集まりと、宣教に取り組んでいる教会です。中心となっている阿部さんご夫妻は私たちの信仰の先輩でもあります。団体に所属しているわけではないので素早く救援物資が届いたわけではありませんでした。

彼らの住むこの神明地区も津波の影響による浸水地域です。彼らの家自体は浸水をかろうじて免れました。しかしライフラインの復旧が遅れ、住める情況ではなかったのです。その上、ガソリンを得ることが困難で動きは制限されました。それでも割合早い時期に活動を開始し、恵みの救援物資を取り次ぐ拠点として活動し始めました。私たちも彼らの必要に応え、ネットワークで集まった物資を届けることができました。水明地区は高齢者の方々も多い地区で、本当に助けを必要としている地区だということです。

今回、訪問してみてとても興味深い取り組みをなされていたので紹介しておきたいと思います。すでに他のグループからの物資の供給を受け、地域の必要に応えています。当初は必要としている人にただ渡すだけだったのですが、それによって本当に助けになった人がいる反面、中には人間の欲から、ため込もうとする方も見かけるようになったというのです。そうなると本当に必要な方に必要なものを渡せないと判断しました。

そして彼らの的確な判断で、ただ、人に救援物資を提供するだけの方法をやめたというのです。提供できる救援物資の案内を印刷し、地域に配ります。そして、そこに来られた人々に自分の必要物資を記載していただき、さらに名前、住所等を記していただき、その上で必要物資を提供しています。この時に希望しながら得られなかった物資は次の機会に入ったときに連絡できる仕組みになっています。とても知恵ある方法であると思います。

このような窮状の中では、みんなが支え合わなければならないのですが、人間の自己中心性は私たちの想定を超えた行動をとる人たちがいるという現実に心を留めました。

今回私たちが訪ねた時、ちょうど救援物資を皆さんに渡すときでした。一度に多くの方々が来られていましたので、少しお手伝いをしました。受付をして案内するのですが、いつの間にか、自分が希望すると記した物とは違う物を次々と袋を詰め込んでいる人がいます。二度も、三度も入れようとしている方もいます。何となく注意するのもはばかる雰囲気です。何とも複雑な思いです。

中には高齢の方で、本当に助かった、と全身で安堵感を示しながら帰っていかれる方々もいます。決して十分とは言えませんが、少しでも不安を解消できるなら幸いです。

祈りの家に集うクリスチャンたちはこのような活動を通してこの地域にしっかりとメッセージを伝えることができるし、また受け止めていただける信頼を得たのではないかと思います。

週初めに行った気仙沼にある諸教会も、塩釜教会も地域の支援に取り組んでいます。他の地域に置かれた教会でも恵みを取り次ぐ拠点として用いられています。この祈りの家の取り組みを参考にされたらと思います。主の教会を通して神様の祝福がその地域に持たされるように祈ります。

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