2011/04/18

教会を通してなされる神のみ業

ワールドビジョン、国際飢餓対策機構、クラッシュジャパンにしても、それぞれベースキャンプとなる拠点を各震災地により密着できるように広げ取り組み始めています。それは救済事業の展開としては当を得たことであると言えます。救援物資や人材の派遣ではより効率よく、より迅速に展開できるようになるからです。救援の内容も復興の段階に応じた変化により的確な対応ができることでしょう。

しかし、こうした働きはある程度長期戦の取り組みになるとは言え、それでもやはり、いつかは引き上げる時が来ます。その時にどうなるか。その後どうなるのか。神の国のみ業は着実に継続されるのだろうか。こうした大切な方向性をしっかり見据えたいと思います。

やはり、その救援活動と共に教会があり、広がるベースキャンプの先に教会が存在していないなら、皆無とは言えないまでも、これまでの尊い働きがもったいないし、いわゆるキリスト教的慈善活動に終わってしまいかねないと案じるのは私たちだけではないだろうと思います。

もちろん、災害発生と共に行動した様々な救援活動は、地球よりも重いと言われる一人のいのちをつなぐとても大切な働きをなされたと思います。特に今回は津波の巻き込まれながらも助け出された人たち、ずぶ濡れでも着替えはない、汚れを落とすお湯もない、食べ物も飲み物も何もない中に駆けつけた救援ボランティアの働きは評価してあまりある行動であったと思います。そしてその後も続けられたいのちをつなぐ取り組みによってどれだけの人を勇気づけたか、尊いいのちをつなぐことになったか、まさに愛そのものであったと思います。

そして様々な復興プログラムが進むにつれ、その拠点、ベースキャンプが教会であるか教会と共にあること、さらに支援活動の先に確かな教会があることが理想的であると考えています。いつまでも残るものは神の教会共同体であるからです。

未曾有の大震災に見舞われた日本、世界中の教会が関心を持ち、支援活動がなし続けられています。しかし、このもっとも大切な教会という視点、その理念を明確にして取り組んでいけるかどうか、真剣に考え祈りたいと思います。単に人道的な働きとして記録されるだけの取り組みに終わらないように祈り、知恵を尽くしたいと思います。

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