2011/04/25

心のケア 「聞く」

ボランティアにはさまざまな活動がありますが、今回、とても大切な心のケア、真の聞き手になるボランティアについて紹介したいと思います。先週末、南三陸町の避難所、これまでクリスチャンたちが誠実に取り組んでこられ、確かな信頼関係を築いた避難所の一つを訪問すことがきました。参加者は蔵王教会とその近隣の教会の有志たちです。

作業奉仕ではなく、避難しておられる方々と対面し、心のケアに関わるボランティアです。若者たちには子供たちと思い切って遊ぶことを通して実現できればと願ってのことです。ボランティアの一つ、心のケアをどう実現できるのか、研修も兼ねての計画でした。

当日は雨の日であったこと、山形の温泉旅館招きで二泊三日の外出の方々がおられたことで、予定外のこともあったが、それでもゆっくりそれぞれ被災者の方々と交わることができました。

物を提供するとか、支援物資を手渡すということに留まらず、人と人との信頼関係をいかに築けるか、私たちの誠実な思いが相手に伝わり、心の痛みを伝えてくれるか、そして癒され、次につながるステップとなるのか、非常に大きな課題を意識しながらの取り組みでした。そういう意味では互いに心を共有できる参加者であったので、不要な心配をせずに集中できました。

もし、この先に真の神の家族共同体が生まれることを願うのであれば、こうした心のケアを中心とした取り組みがとても重要であるし、しかも継続的に行われる必要があります。それが支援物資を提供する働きでも、がれきの後片付け、泥だし、掃除のボランティア活動であっても、必要な取り組みであると思います。そしてこうしたことに取り組むとができるクリスチャンボランティアチームが与えられることです。

傾聴する、聞くというのは矢継ぎ早に質問し、聞き出すことではありませんし、話しを聞いてはコメントしたり、自説の主張になったりでは、本当に「聞く」ことになりません。いろいろなことを聞きながら想像力を豊かにし聞く必要もあるでしょう。あくまでも聞き手に徹することが大切です。本当に話したいこと、深刻な問題であればあるほど前置きが長くなります。その人にとって大事な問題を話していただくためにはある程度の時間を必要としますし、本当に聞き手になってこそ実現するものであると思います。

とかく牧師は話すこと、説教すること、説明することに長けていますが、真に聞き手に徹するのはかなり難しいものです。ですから、沈黙とか間に絶えられず、ついうっかり聞き手から、話し手に変わってしまいます。聞くというの本当に技量が求められます。

こうしたことで適切なアドバイスや指導してくれる奉仕者が導かれればと願っています。一日、聞くことについての研修やワークショップを行い、現場に赴くことができたらと考えています。

とわ言え、技量以上に、真のクリスチャン、福音理解の明確なクリスチャン、キリストにある新生と、それに続く聖書の教えに基づく新しい生き方について、神様の意図をしっかりと受け止めているクリスチャンであれば、相手に対する愛、思いやり、同情心を持ち合わせているはずですので、全く問題なく、被災者の傍らに座ることができると思っています。

数あるボランティアの中でも、これから益々求められるのが「聞く」ボランティアであると思っています。真の神の共同体が生まれるとしたら避けられない取り組みであると思います。

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