2011/04/22

今こそ真の教会が

この大震災のただ中にある人たちに対する心からの援助・支援行為の先に真の教会家族の誕生というのは夢物語なのでしょうか。

その真の教会とは制度とか教派の伝統、組織に固められたものでもなく、ただ集会出席だけの教会でもなく、知的な満足だけで、生活の変革につながらない聖書学習会でもなく、また超自然的なこと、特殊な宗教的儀礼にのみ焦点を当てようとする日常的生活から離れた宗教集団でもありません。

そうではなく、家族を建て上げ、額に汗して働き、自らの必要と家族の支え、地域の繁栄に寄与する人たち、 また「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」このようなクリスチャン共同体、しかもその地域の文化の中で神学する共同体が建て上げられるならば、この被災した地域社会に求められる存在、なくてならない共同体と言えるでしょう。

さまざまな支援団体、教会が活動していますが、この大切な視点に注目し、互いに連携しあえたらと思います。

被災地のただ中にある教会の中心的なご夫妻が、地理的にも離れたところで休息しているとお聞きしました。多くの援助グループ、教会、団体が次々と訪れます。訪問される方はそれなりの思いと勢いがあり、支援したいという熱い思いで、しかも自己犠牲を厭わず励んでいます。

一方、迎える側は被災のただ中で、来訪者は嬉しい反面、肉体的にも精神的にも限界に達してしまいます。気づかないうちに疲労が蓄積します。善意は純粋に善意です。同時に受ける側の限度を思いやる必要があると思います。

間もなく大型連休、ゴールデンウイークがやってきます。民間も教会もかなりの数のボランティア志願者数があるのではないでしょうか。昨日の会合で、理想的な形で被災地の地域共同体の中に活躍する教会のリーダーに会いました。この連休は休むことにした、との発言、その思い切った決断に本当に良かったと思いました。

かなりの長期戦が予想されます。地元にある教会は、この被災地の地元に残り続けます。途中で折れてはならないのです。そのために休むことがどうしても必要です。長く続けるには疲労をある程度解消する必要があります。まさに地区教会の主体性があってこそ、援助活動は実を結びます。

こうした救援活動は被災地だけの教会に限らず、全国の諸教会にも問いかけられていると思います。福島の原発関係では着の身着のままで避難した人たちが大多数です。家族が切り離されるような事態にまで発展しています。教会の取り組むべき支援・援助活動はすぐ近くにあるかもしれません。

この災害復興支援のゴールはどこにあるのか、再度確認し、共に励みたいものです。明日も、被災地にいる方々の傍らに座る予定です。

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